カタコトコラム

タップダンスのルーツ(1)

タップダンスのルーツを紹介します。

それは、大航海時代の奴隷貿易。

奴隷として欧米を相手に取引された、黒人たちの魂の表現なのです。

 

彼らの多くは、アフリカから奴隷船で連れてこられました。

そして楽器や会話など、様々な行為が禁止・制限されました。

そのような状況下でも、彼らは足を踏みならしてコミュニケーションをしました。

これが諸説ある中で、最も有力と思われる、タップダンスのルーツです。

 

これは、セヴィオン・グローヴァーさんのトニー賞ミュージカル「ノイズ&ファンク」でも語られていました。

また、HIDEBOHさんの「海に響く軍靴」では、「黒人が成功するには、野球選手かタップダンサーしか、職がなかった」といったTamangoさんの台詞もありました。

 

足を踏みならして感情を表現すること。踊ること。

それらは、人間にとって最も原始的で本能的な行動の1つだろうと思います。

しかし「生きたいように生きる」。

これが叶わない人たちが、たくさんいた時代があります。

そして現代も。

 

最後に、グレゴリー・ハインズさんとジーン・ケリーさんがディナーで語り合ったエピソードを動画で紹介します。

「タップダンスの起源(When – Origins of Tap)」というタイトルの動画では「奴隷だった黒人たちはドラムを持つことを許可されていなかったために、足を踏み鳴らすなどして、体でリズムやムードを表現していた」「1800年代前半に(マスター・ジュバと呼ばれた)ウィリアム・ヘンリー・レーンさんというアフリカ系アメリカ人のジュバダンサーと、ジョン・ダイヤモンドさんというアイルランド系アメリカ人のクラブダンサーとが組んで、各地で競い合った」ことなどが述べられています。

なお、ジュバダンスとは、足を踏み鳴らすほか、腕や胸や脚など身体の各所を平手打ちしながら踊る、非常にリズミカルな音の発生を伴ったダンスです。

 

追伸

アメリカのエンターテインメントを知る上で、その国の歴史に少し触れておきます。

長らく続いた大航海時代の奴隷貿易も、1800年代に入ると人道的あるいは経済的理由から、ようやく退潮していきます。1776年に独立宣言を行ったアメリカでは、産業革命による工業化を経済的発展の軸としたい北部と、農業中心で奴隷の労働力が必要だった南部とが対立を深めていきます。そして、1861年ついに南北戦争が始まります。その戦火の中、1863年に当時のリンカーン大統領さんは奴隷解放宣言を出し、対立していた南部の奴隷を解放します。そして、そのおよそ2年後に南北戦争は終わりを迎えました。しかし、その宣言によって人種差別がなくなったわけでは、ありませんでした。マルコムXさんや、マーティン・ルーサー・キング牧師さんによる公民権運動によって、アメリカに公民権法が制定されたのは1964年のことですので、実に100年に及ぶ歴史があるのです。

コメントを残す

*

CAPTCHA